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名古屋地方裁判所 昭和50年(む)339号 決定

主文

本件忌避申立を却下する。

理由

弁護人の本件忌避申立の趣旨ならびに理由の要旨は、「春日井簡易裁判所裁判官長谷川芳市は、前記被告事件を審理するにあたりその第一回公判期日における起訴状の朗読以前に、春日井市選挙管理委員会から、右原田和也(以下被告人と称する)が同被告事件の公訴事実に記載されているように隠匿したものと思われる封筒を取り寄せて、これを所持し同第一回公判期日において、検察官提出の書証の取調を終り、被告人に対する尋問が終ろうとした段階で突然右封筒を取出し、該封筒を職権で証拠調をするについて、弁護人の意見を求めたが、このような同裁判官の行動は刑訴法の採る起訴状一本主義予断排除の原則に反し、同裁判官は、同被告事件について、予断を抱いているといわなければならず、ひいては刑訴法二〇条七号に該当し、そうでなくとも、同裁判官が本件について不公平な裁判をする虞れがあるといわねばならないから本件忌避の申立をする」というのである。

そこで検討すると本件忌避申立事件記録、前記被告事件記録によれば、被告人は、「愛知県春日井市所在の高蔵寺郵便局に勤務し、郵便物の配達作業に従事していたものであるが、正当な理由がないのに、昭和五〇年一月一六日午後三時五〇分ころ、春日井市木附町地内高座山東側中腹において、配達を命ぜられた指宿市十町六三番地の一、大茂セツ子差出し、春日井市白山町一八五六番地の一〇中央台団地二一四棟三〇二号、久保勝男宛の第一種郵便物一通ほか七八六通の普通通常郵便物を、付近の草むらに隠匿し、また同年同月一七日午後三時五〇分ころ、前記同所において配達を命ぜられた和歌山市大泉寺町五番地、坂口方佐々木志郎差出し、春日井市白山町一八五五番地の八、藤山台団地一二〇棟二〇三号、山田誠三宛の第二種郵便物一通ほか三四二二通の普通通常郵便物を付近の草むらに隠匿した。」という郵便法違反の事実について、同年三月六日、春日井市簡易裁判所に略式命令の請求をされたものであるところ、同裁判所裁判官長谷川芳市は、同年同月一五日、右略式命令を不相当であるとして、通常の規定に従つて審理することとしたこと、その後同年四月八日同被告事件の第一回公判期日が開かれ、その際被告人に対する人定質問、起訴状朗読等の手続の後、被告人、弁護人から、公訴事実はそのとおり間違いない旨の意見が陳述され、引続き、検察官請求にかかる書証全部が同意書面として取調べられ、さらに、職権により被告人に対する質問が行なわれたこと、ところで同裁判官は、同被告事件の第一回公判期日以前に該事件における事実の認定ならびに法令の適用につき本件事案の真相究明をするため必要があるとして(なお同裁判官提出の意見書によれば、裁判所法三三条三項の決定をするについて必要であつたとする)春日井市選挙管理委員会に架電し同委員会に「愛知県知事および春日井市長選挙のお知らせ」等と題する同選挙管理委員長森鉄一名義の選挙事務用郵便物一通等の任意の提出を求め、該郵便物は同年四月八日正午ごろ、同裁判所に到達したこと、ついで、右同日午後一時ごろから、前記被告事件の第一回公判期日が開かれ、前記のような手続ならびに被告人尋問が終つた後、同裁判官は前記郵便物を職権で証拠調をすることについて弁護人の意見を求め、弁護人はこれに対し、異議を申立てるとともに、同裁判官の右処置をもつて、右被告事件について予断を抱いているとして忌避の申立をしたことをそれぞれ認めることができる。

そこで、本件申立の当否について考えると、先ず、本件被告事件の審理の経過は前記認定のとおりであつて、前同裁判官が、刑訴法二〇条七号の規定するところに該当しないことは明らかであるので、この点の所論は採るを得ない。次に前同裁判官が春日井市選挙管理委員会に対して、前記郵便物の任意提出を求め、これを証拠として取調べようとした意図は、前記に認定した以外には前記各記録を精査しても必ずしも明白でないところ、略式命令を不相当とした裁判官が通常の規定に従つて審判すること自体は特別の事情なき限り、忌避事由とならず、またある裁判たとえば被告事件を管轄地方裁判所へ移送する旨の裁判をなすべきかどうかの判断のため事実の取調べをすることは、刑訴法により認められているところであるとはいえ、本件の如く裁判官が、第一回公判期日前に市選挙管理委員会に対して、その被告事件の公訴事実に関連を有すると思われる前記のような郵便物の任意提出を受けこれを公判審理中に突然法廷に顕出して、職権によつて証拠調べをしようとすることは、厳格にいえば、起訴状には、裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞れのある書類その他の物を添付し、又はその内容を引用してはならない等と定めた刑訴法二五六条の精神にいささか背馳するの感があり弁護人をしてこの裁判官が事件について予断を抱いているのではないかとの疑念を抱かせる虞れもあり幾分穏当を欠くと考えられるのであるが、しかし、本件において前記認定のように前記郵便物が法廷に顕出されたのは検察官請求にかかる書証全部が同意書面として取調べられ、さらに職権により被告人質問がなされた後の段階であること、同郵便物が前同裁判所に到達したのは、前記第一回公判期日の開かれる直前であつたこと、同裁判官が前記処置をした意図が一応前認定のようなものであつたことおよび提出された郵便物の性状、内容あるいはその他前認定の諸事情を併せ考えると、同裁判官の前記処置は、いささか穏当を欠くとはいえ、これをもつて直ちに同裁判官が右被告事件につき不公平な裁判をする虞れがあるとまでいうことはできず、結局、本件忌避申立は理由がないといわなければならない。

よつて、本件忌避申立を却下することとし、主文のとおり決定する。

(杉田寛 吉川清 林道春)

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